【141】利子を取らない銀行【ラディカル紙】【2006.04.02】

3月30日付けのラディカル紙よりヌライ・メルト氏のコラム。AKP(公正開発党)政権は中央銀行の総裁に、“利子を取らない”を看板に掲げているアルバラカ・テュルク銀行の頭取を任命しようとしましたが、セゼル大統領が拒否権を発動したことによりこれは実現しませんでした。メルト氏はこの問題に対して興味深い批評を試みています。

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中央銀行の総裁が誰になるかというのはもちろん重要であるが、未だかつて今回ほど“重要”になったことはないだろう。この問題は“適任性”に関わるものではない。もしもそうであったならどんなに良かったことか。あらゆるポストの人選に適任性が重要視されているのなら問題はないのである。しかし、御承知のように、政権党は自分たちが任命権を持っているポストであれば、その重要性の如何に関わらず、自分たちの息のかかった人物を任命する。そして、これが現AKP政権に限られた問題ではないことも私たちは知っているはずだ。

だからこそ、任命に関して、その人物の妻がスカーフを被っているのかどうかであるとか、“利子”に対する考え方はどのようなものであるのか、といったことが取り沙汰されるようになる。この“スカーフを被っている妻たち”については、私も問題があると思う。しかし、私は“スカーフを被っている”という事実そのものであるとか、その“政治的なシンボル性”について云々しようというのではない。大学における“スカーフを被った女性の教育を受ける権利”をはじめとしたスカーフに関わる問題を解決できずにいる政権が、スカーフを被っている女性を妻とする人物数名にポストを与えることで支持層を宥めようとしている姿勢が問題なのである。

この国の保守的な選挙民は、昔から右派政党の敬虔な首相によって宥められ、実際の政策については文句を言わずに我慢して来た。結果として、1950年以来、短期間の例外を除いていつも右派の保守政党が政権を担当して来たこの国で、未だにスカーフの問題は解決されていない。「政権には就いたものの権限が与えられていないから力を発揮できない」という言い訳によって支持層はごまかされている。支持層も、公共事業をばら撒くことになれば力を発揮する政権を責め咎めることができない。これは多少なりとも選挙民の問題であることを認めなければならないが、深刻な問題であることに変わりはない。

“利子”の問題に至っては、議論の焦点となっている「“利子を取らないアルバラカ・テュルク銀行”の頭取に対する疑念」というものが何であるのかさっぱり解らない。フィナンシャル・タイムズは、“利子を取らない銀行”の頭取が、金利を決定する中央銀行の総裁に任命されることを“奇妙”であると思ったようだ。

この問題に奇妙なことがあるすれば、「利子を取らないで銀行を運営する」という主張そのものだけに違いない。“利子を取らない銀行”などというものが見せ掛けだけの虚構に過ぎないことは誰もが知っている。“利子を取らない銀行”なんていうのはムスリム資本主義の誤魔化しである。そもそも、利子に反対している人物が自分で利子を扱いながら何とも思わないのであれば、それはその人物の個人に関する問題ではないのか?

「イスラム主義者たちは利子を禁忌と思っている」と純粋に信じている人がいるならば保証しても良い、ああいった人たちの中で“利子は禁忌”と信じている人などもう何処にもいないだろう。信じている人がいたとしても、その人物が重要なポストに出世することは不可能である。私などは、「“利子は禁忌”と信じている人がもっといてくれたら良かったのに」と思っているくらいだ。なぜなら、利子を禁忌とするのは不労所得を禁忌と見なすことであり、金が金を生むことの上に築かれた経済理論に対する真摯な抵抗であるからだ。

イスラム主義者たちの中で、このように道徳的な立場から抵抗しようとする声が高まったのを見たことがあるだろうか? それどころか、敬虔なムスリムたちは、適当な解釈をつけながら金儲けに走ることで頭がいっぱいである。労働を最後まで搾取し、従業員らが持っている労働者の権利を使わせないようにすることに関して、敬虔なムスリム経営者たちの見せる努力には他を抜きん出たものがある。

経済の世界で、イスラム的な考えから、現存のシステムに合わせまいとして抵抗しているのは敬虔な国民たちではない/重要なポストに任命することはない(訳注:この件は/の部分に欠落があるようです。おそらく/の部分には「またイスラム的な考えから抵抗している人たちのことを、敬虔な政権が・・」というような文が入るのではないかと思われます)。

この国では、AKPの人たちどころではなく、自ら“イスラム主義者”であることを宣言している人たちが、タクシーにおける営業ナンバーの許認可制度を利用して、哀れな運転手の労力から利益を得ようとしているのである。

だから、「イスラム的である」などという言い掛かりをつけてAKP政権を非難するのは止めてもらいたい。本当は、敬虔なムスリムの庶民たちこそ、AKP政権を非難しなければならないだろう。

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=182911

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