【137】トルコが育てた日本の作家【ヴァタン紙】【2005.04.24】

随分前の記事で、2月9日付けのヴァタン紙からです。トルコが舞台として登場する日本の経済小説「トップ・レフト」(祥伝社)と著者の黒木亮氏を、サーデット・オゼン氏が紹介しています。

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近年、世界の文学作品でトルコについて書かれることが目に見えて増えて来た。ヴァタン書評の最新号では、こういった作品の中から、未だトルコに紹介されていないものを幾つか知る機会が得られたはずだ。

海外、特に欧米の人たちは、この大地の多彩な自然の様相を小説のテーマとして用い始めている。これを我が国が世界へ紹介されるという点で、例えば、ワールドカップにおいて代表チームが世界3位になった時と同じように、肯定的に捉えている人たちもいれば、欧米人が我々を望ましくない姿に描いていると考え、悲しみ、苛立つ人たちもいる。

この問題には様々な面があるだろう。先ず、こういった作品の中からトルコで出版されたものの多くは、トルコの読者たちから関心を持って迎えられている。実際のところ、先進国から最も開発の進んでいない国に至るまで、文学作品の中で描かれたことのない国など見当たらないくらいであり、我々について筆を走らせようとする人がいたとしても、それは不思議なことではない。フランスの読者たちは、パリが描かれた外国の小説を気に掛けるだろうか? なぜ我々は、自分たちのことが描かれた作品やその著者をこれほど気にするのか? おそらく、二百年来、西欧化への困難な道のりを歩んで来たことから、自らの姿を鏡の中に探してしまうのだろう。

一方、この種の作品の8割は、現代のトルコではなく、西欧の記憶からなかなか消え去らないオスマン帝国の時代を舞台としている。私も観光ガイドとして働いていた頃、ツーリストの中に、砂漠の旅を楽しむ為であるとか、ハーレムの秘密を探る為にトルコへやって来た人たちを頻繁に見ていたから、これは一種の慢性的な病気ではないかとさえ考えている。

しかし、西欧の人たちが、我々を違った角度から見るようになったとして、それで何が変わるのかは正直言って解らない。ただ、我々のことを描いた西欧の作家たちは、東洋と西洋の狭間における我々の特異な点を良く理解できないまま、彼らの頭の中にある我々のイメージ、つまり東洋的なイメージを強調したのではないか、これが彼らにとってお手軽でリアルなイメージだったのではないか、と私は思うのである。

さて、思いがけないことはあるもので、先達て、またもやこの種の作品について、とりとめもなくあれこれ考え込んでいると、そこへ、イスタンブールに住む日本の友人、マコト(訳注:この記事を訳している私のことです)がある日本語の本を手に訪ねて来た。その本は、黒木亮という日本人作家が書いた「トップ・レフト」なる小説だった。この小説には、トルコ、それも現代のトルコ実業界が描かれている。これについて何と言ったら良いのだろう? 「望んでいたら、その通りになった」とでも言うべきか、「光明は東からあがる」ということなのか?

ところで、この本はどういった経緯で執筆されたのだろう? 紆余曲折を経て、筆者の知己を得た後、その詳細を知ることができた。時として、執筆にまつわる物語は、作品に劣らず興味深いものであったりする。

黒木亮というのはペンネームであり、本名を明かせば、「トップ・レフト」の著者を知る人は、トルコに少なくないはずだ。しかし、それは、先ず頭に思い浮かぶ世界文学関連の出版社における編集者といった人たちではない。黒木氏の友人たちを探す為には、目を実業界に向ける必要がある。例えば、イシ銀行の頭取であり、同時にトルコ銀行協会の会長でもあるエルスィン・オズィンジェ氏やタンス・チルレル元首相に目を向けなければならない。故トゥルグト・オザル大統領も、この記事に掲載されている黒木氏の写真を見れば、この魅力的な作家のことを思い出しただろう。なぜなら、オザル大統領は、黒木氏を息子たちの結婚式に招いたほどだったのである。

黒木亮氏は、このペンネームによって執筆活動に入る前、日本における有数の銀行、証券会社、総合商社のロンドン現法で役職につくビジネスマンだった。そして、ある日、内的な欲求に抗し難く、筆をとることになる。黒木氏は、この点で自らを、ノーギャラで歌うシンガーや絵を描かずにはいられない画家に擬している。

実業界を舞台とした最初の構想を練りながら、書いたものを出版する決意を固めた黒木氏は、いざとなれば自費出版も辞さないつもりだったと言う。しかし、その必要はなかった。日本の出版関係者たちが、その著作を認めたからだ。そして、本の売れ行きは良いレベルに達したのである。

黒木氏は今までに3冊の著作を上梓している。我々のことが描かれた「トップ・レフト」、それから「アジアの隼」、「青い蜃気楼−小説エンロン」である。さらに、今年中に少なくとも2冊が上梓される予定だ。「バルジ・ブラケット」は投資銀行について、「シルクロードの滑走路」は、キルギスタンにおける航空機購入に関わる融資がテーマとなっている。

最初の小説を書き始めた頃、黒木氏は未だある会社に勤めていた。24年に及ぶ経験から、当然、最も良く知っている分野である金融をテーマに書き始める。しかし、知り得た情報をそのまま書き記すのは、会社にとって好ましいことではない為、作品はフィクションのスタイルを取らざるを得なかった。より楽に筆をすすめる為、創作の力を使うことにしたのである。また、フィクションはノンフィクションに比べて持続性があり、読者もフィクションの場合は著者を考慮するが、ノンフィクションはそのテーマによって選んでいることなどを黒木氏は考えていた。彼の目標は、本を可能な限り多く売り、長く読んでもらうことであり、フィクションはこの点から見て、より相応しいと言える。もちろん、テーマとして扱ったのは、他の作家たちが簡単には手をつけられない、また、つけたとしても説得力のある作品に仕上げる為には相当苦労しなければならない「ビジネスの舞台裏」「陰謀」「金融市場」「野心的なビジネスマンたち」といった話である。

新鋭作家の彼を、多くの出版関係者が、新しい才能と見ている。ビジネスマンや学生たちに好評だった「トップ・レフト」は、単行本として2万2千冊、文庫本としては3万冊。「アジアの隼」は上下2巻で、単行本が2万冊、文庫本は6万冊を売り上げた。「青い蜃気楼−小説エンロン」は中堅の出版社から上梓された。黒木氏は、緻密なビジネスマンとしての発想から、新しい作品を販売力のある大手の出版社に託し、単行本として5万冊に達することを望んでいる。

金融界を描いた小説により、その力量を証明した黒木氏は、2006年度において、外交とスポーツをテーマにした小説の構想を練っている。

さて、なぜトルコについて書いたのか? そして、どういうわけで、我々の金融世界をそんなに熟知しているのか? 黒木氏は13年間に亘りロンドンで銀行マン及び証券マンとして働いた。しかも、その業務における3分の1の時間は、トルコに関する融資案件に費やしている。トルコは彼にとって重要な顧客だった。彼は、トルコへの融資に関するアドバイザーとしての役割を担っていた。つまり、彼は我々が気がつかなかっただけで、長年に亘って、我々の経済を形作った人々の中にいたのである。イシ、ガランティ、ドゥシュ、エムラック、パムックといった銀行やトルコ製糖のような会社にシンジケート・ローンをもたらしている。トルコの実業界とは親しい間柄だったのだ。彼は、前述したトルコの友人たちとその頃に知り合っている。

黒木氏は、東京の融資部に、トルコの経済・政治の状況をレポートしなければならなかった。この為、我々について知り、トルコを観察することが必要だった。彼は、5年間に亘って、毎日、ターキッシュ・デーリー・ニュースを読んでいたという。1988〜1995年の間には、80回以上トルコを訪れている。小説家を志した時に、思い浮かべた最初の舞台がトルコの実業界であったことはごく自然な成り行きと言えるだろう。そして、小説が実際の物語に関わっていることも・・・。黒木氏は、小説の詳細においても正確を期し、外貨市場におけるTL(トルコ・リラ)のレートやイスタンブール証券市場の動向を調べる為、ロンドン及びイスタンブールのトルコ人銀行マンに問い合わせることも怠っていない。また、小説の中で、トルコ実業界について彼なりの分析も行なっている。実業界の人間関係が非常に狭いことや、決定権を持っている人がとても少ないことなどに言及しているのである。

トルコで、政府の機関、そして銀行や大企業における仕事の進め方はプロフェッショナルな西欧スタイルになっていると黒木氏は見ている。しかし、他の面では、非常にオリエンタルな観点が支配的だと主張する。彼によれば、トルコにとって最も危険なものは不正である。

「トップ・レフト」は、こういった分析や13年間に亘る経験、そして、執筆に対する内的な欲求が一つに合わさった結果として誕生する。

トップ・レフトとは、ビジネスの世界で使われる用語だ。シンジケート・ローン等における融資完了広告で、主幹事を務めた銀行の名が融資団の最上段左端(トップ・レフト)に記されることに由来している。

小説の主人公たちは、ビジネスの世界へ富国銀行という日本の銀行からスタートした。その後、主人公の龍花と今西は別の道を歩むことになる。人生観やビジネス上の道徳に対する考え方も全く違う龍花と今西は、各々の会社のロンドンにおけるオフィスで働いている。

1998年、あるトルコ人投資家は、トルコ・トミタ自動車(この名はある実在する会社を想起させるものではないだろうか?)の名において、1億5千万ドルの融資を求める為、未だ富国銀行に勤務していた今西を訪ねる。会社の目的は、イランに新しい工場を設立することであり、これをトルコ経由で実現させようとしていた。しかし、ここで、かつて勤務した富国銀行を恨み、この銀行を潰そうという執念に燃える龍花が登場する。彼はこれを妨げようと乗り出し、この案件を今西の手からもぎ取る為に、権謀術数の限りを尽くす。トヨタ、もといトミタのトルコ人スタッフは常識的に考え、このオファーに悪い匂いを嗅ぎ取るが、運営陣を説得することができない。そして、ロンドンからイランへ、トルコ財務省から米国の銀行へ至る息詰るストーリーが展開される。

黒木氏の「青い蜃気楼−小説エンロン」も、日本のビジネスマンたちから好評を博した。数年前、全てが順調であるかのように見えていたのに、突然倒産してしまった「エンロン」という投資会社。この没落過程では、スタッフの仕事場が放蕩者の館のようになってしまったことや、各社が短期利益や顧客を失いたくないが為、ネガティブな展開も見てみぬふりをしていたことに至るまで、様々な要因が取り沙汰されている。エンロンの倒産は、一時的にせよ、現在の金融の状況に関して、様々な議論を巻き起こした。

黒木氏は、小説の中で、経営の仕方が余りにもアグレッシブであったこと、3ヶ月に一度良いバランスシートを見せる為に、大胆な、あるいは誤魔化しの会計を用いていたことを強調している。社内監査も充分ではなかった。例えば、スタッフは顧客との契約で10%ものプレミアムを取っていたという。結果として、非常に悪質な契約が結ばれていたにも拘らず、誰も関心を払わなかったのである。黒木氏によれば、会計士や弁護士、そして銀行マンもエンロンにおける誤った展開に気付いていたが、自分たちへ高額を支払うこの会社との取引を失いたくなかったのだろうということになる。これは、短期的な利益の計上を重要視し、経営陣に高額の給与を支払い、非常に巧妙だが時として詐欺的な金融商品を使う近代アメリカのビジネス・ルールがもたらしたものだと黒木氏は考えている。

一方、黒木氏は民族と宗教の問題に関して、アメリカとイスラムの間で起こっているような危機的状況が、将来、一層激しくなるのではないかと予想している。今後の作品で扱われるのは、おそらくこのテーマになるだろう。

世界的に見ても、金融にまつわる小説は増えており、関心も高まっている。今後も黒木氏がこの傾向を巧みに使い、優れたビジネスマンとして有効なテーマを選択しながら、作品の上で精巧な筆捌きを見せることは疑いもない。彼が成功すれば、我々も誇りに思えるだろう。「この大地が育てた作家」と言えるからだ。この文言は私のアイデアではなく、黒木氏自身のものである。このビジネスマン作家は、長い会見を次の言葉で締めくくった。「トルコは、私を銀行マンとして、国際ビジネスマンとして、さらには作家として育ててくれた国。これまでの人生で最も忘れ難い国です。全ての成功はトルコ、そしてトルコの人々の賜物に他なりません。国を害する不正が消え去り、人々が一層幸せになることを祈ります」。

Q:ビジネスの世界を離れて執筆活動に入りましたが、生活の上でどのような変化があったでしょうか?

A:どういった日々を過ごしているのか説明しましょう。未だロンドンに住んでいて、毎朝、大概7時頃に起き、終日働いています。これは昔と変わりません。ただ、作家になって良かったのは、一日の内で好きな時間に少し休める自由があることです。体型を維持しようとして、週に何日かは泳ぎに行きます。それから、ロシア語を習っていますね。将来、ロシアに関する小説を書こうと計画しているからです。小説のテーマを探す為、良く旅行に出かけます。例えば、去年の6月には、杏の生産状況を調べにマラティヤへ行きました。10月にはチェコ共和国へ、12月にはアイルランドを訪れています。かつての生活に関わるテーマを調べているんです。

Q:日本ではトルコのことがどのように伝えられていますか? 頻繁に「トルコの日」であるとか「トルコ週間」といったものが催されていると聞いてますが・・・。

A:実際のところ、殆ど知られていません。高校の世界史ではアタトュルクについて触れていたようですが、この他は、カッパドキアであるとかスルタンアフメット、トプカプといった所がボンヤリと思い浮かべられる程度です。昨年はイルハン・マンスズが日本の女性たちから人気を博しましたね。しかし、これ以外に、トルコの人たちの日常的な生活や習慣、そして実業界のことなどを日本の人たちは余り知らないのです。

Q:貴方自身のトルコとの交流は未だ続いていますか?

A:申し上げたように、去年もトルコを訪れました。現在のイシ銀行頭取エルスィン・インジェス氏は未だにクリスマスカードを送ってくれます。トルコの多くの銀行マンが、写真を見て私のことを思い出すはずです。トルコの実業界からは多くのことを学びました。トルコは私にとって、とても大切な国です。いつの日か私の本がトルコ語に訳され、トルコの友人たちがそれを読んで、彼らなりの評価を伝えてくれることを心より望んでやみません。私を知る全ての人たちに挨拶の言葉を送りたいと思います。

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