【133】キルギスタン大統領の座を追われたアスケル・アカエフ氏へのインタビュー【ミリエト紙】【2005.04.03】

4月3日付けのミリエト紙より。モスクワ近郊で、ミリエト紙のジェンク・バシュラムシュ記者が亡命中のアカエフ氏へインタビューしています。

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キルギスタン大統領の座を追われたアスケル・アカエフは、いくら考えても何処で過ちを犯したのか解らないと首を捻る。「民主的な国でなかったならば、彼らは政権を取ることなど出来なかっただろう。政権のために、一滴の血も流したくはなかった」と言うのである。

今、粗末な椅子に座るアカエフと、10日前までビシケクで大統領の座に就いていたアカエフの間には何の違いもない。起こったことに動揺したはずだが、その態度は相変わらず謙虚なものだった。事件を民衆蜂起ではなくクーデターと表現し、混乱の中で崩壊した国へ、トルコが迅速に援助の手を差し伸べることを望んだ。「私の存在などはどうでも良いのです。政治家には来る者もいれば去る者もいます。兄弟国トルコがキルギスタンを援助して下さい」。

アカエフは、事件の裏に欧米がいると見ている。ビロード革命を中央アジアへ広げる為にキルギスタンが基地として選ばれたと考えているのである。

3月24日に政権を失ってロシアへ亡命したアカエフを、ミリエト紙とアナトリア通信の記者がモスクワ近郊のゲストハウスに訪ね、インタビューした。アカエフはインタビューがロシア語で行なわれることを望んだ。

Q:事件の背景には何があったと思いますか?

A:欧米のメディアは、中央アジアのトルコ系諸国で抑圧的な独裁政治が行なわれていると書き立てていました。キルギスタンが異なっていることを解らなかったのです。私は国を民主的に治めようとしていたし、キルギスタンには報道の自由もありました。CIAの独立メディアを支援する機関である有名なフリーダム・ハウスがあったのです。民主主義と自由を優先させていたのに、彼らは憲法に反する形で無理やり政権を手に入れたわけで、あの行為の何処にも民主主義はありません。

Q:ビシケクの米国大使スティーヴン・ヤングを非難しているのは何故でしょうか?

A:私はただ、クーデターの1週間前にインターネットで公開されたヤングのレポートについて話しました。あれにはキルギスタンの政変に関する詳細なプランが記されていて、その通りに実行されたのです。

Q:反乱を事前に察知していましたか?

A:ええ、それどころかチューリップ革命と名付けられることも知っていましたよ。ビロード革命はクーデターに変わると私は言ったのですが、実際にそうなりました。

Q:では何故、キルギスタンが選ばれたのでしょう?

A:民主的な雰囲気がビロード革命に適していたからです。抑圧的な体制でこれはできません。キルギスタンでは民主主義が非常に発展していた為、既に平和裏の革命は不可能な状態であり、それで、国際的な支援を得た野党はクーデターに打って出たのです。

Q:つまり、民主的な改革を行なった為に政権を追われてしまったということですか?

A:そうです。その為に罰せられたとも言えます。

Q:しかし、民衆は貧困に喘いでいたと言われていますが?

A:それは相対的なものです。旧ソビエト諸国の全てに貧困はあります。3週間前、パリ・クラブは、我々の対外債務だけを60%帳消しにしました。我々の経済的な成功に対してこれを実施したのです。事件は社会経済的な状況と無関係なものでした。欧米のメディアは事件を民衆蜂起に見せようとしているけれど、あれは民衆蜂起などではありません。彼らはクーデターを民主主義の勝利として喝采したのです。

Q:3月24日にビシケクでは何が起こったのでしょう?

A:野党はグルジアやウクライナのような平和的なデモを行なうと発表していました。ところが、軍事訓練を受けた前科者を含む1万人が広場へ送り込まれ、直ぐに政府の建物へ襲いかかったのです。その時、私は中で働いており、私の補佐官たちは死ぬほど殴られていました。シークレット・サービスは、彼らが私を殺すだろうという情報を伝え、必要とあらば内戦を始めようとしていましたが、その時、私は亡命を決意したのです。最初から行こうと思っていたのはロシアでした。

Q:最後にどういう命令を下しましたか?

A:ユシェバエフ内務長官に対し、民衆へ発砲しないよう命令しました。政権の為に一滴の血も流したくはなかったのです。

Q:後悔したことはありますか?

A:ありません。

Q:トルコとスイスに別荘があると言われていますが?

A:それは野党が捏造したものですが、残念ながら信じた人たちもいます。彼らは一万人を送り込み、「全てアカエフのものだ。残らず奪い取れ」と命じたのです。トルコの実業家が経営していたベタ・ストアや国連の事務所まで荒されました。

Q:グルジア、ウクライナ、キルギスタン・・・。これは総合的な計画の一つに過ぎないと言うのですか?

A:そうです。ウクライナの次はキルギスタンであると言ってました。アメリカの大使は、革命を中央アジアへ広げる為にはキルギスタンが適当だと指摘していたのです。

Q:事件の最中にトルコ政府と接触しましたか? 今は何を期待していますか?

A:事件の経過がとても早かった為、接触を試みることができませんでした。しかし、セゼル大統領やデミレル前大統領とは非常に親しい兄弟のような関係があります。トルコとトルコの実業家たちは、キルギスタン経済を引っ張る中小企業の育成にとても貢献してくれました。キルギスタンの民衆は彼らに感謝しています。今また、損害を被った事業所を修復し、経済を活性化させる為には、トルコの援助が必要です。ここで私の存在などはどうでも良いのです。政治家には来る者もいれば去る者もいます。

Q:辞任することを考えていますか?

A:私と家族の命を保証してくれれば、国へ戻って辞任するつもりです。

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