【124】英国のトルコ教会【ヒュリエト紙】【2005.03.20】

3月17日付けのヒュリエト紙よりジュネイト・ウルセヴェル氏のコラム。英国の某所において、トルコ人牧師がトルコ語で執り行うミサへ参列したウルセヴェル氏は、そこでの見聞と所感を記しています。

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英国で、トルコ人(もしくは「トルコから来た人たち」)の会衆による日曜日のミサに参列した。このミサは、トルコ人牧師がトルコ語で執り行うのである。

教会の場所と名称は保安上の理由から明かすわけにはいかない。彼らの説明によれば、英国でトルコ語のミサが行われる他の教会は、トルコのメディアで紹介されてから、教会の責任者や会衆が脅迫を受けるようになり、会衆は生命の危険を感じて離散してしまったという。

また、英国の或る教会は、礼拝が安心して行えるようムスリムへ譲渡され、モスクのようになってしまったが、キリスト教徒たちは何の反応も見せなかったそうである。

さて、日曜日のミサで、会衆は私のことを少し途惑いながら迎え入れた。というのも、私が前もってジャーナリストであることを打ち明けたからだ。彼らは自分たちも難しい状況に立たされてしまうのではないだろうかと心配したのである。

トルコから来たクルド系の信者は、敵意のある態度を示した。彼はトルコのメディアが非常に偏ったものだと言う。トルコでは、クルド人、アレヴィー派を始めとする全てのマイノリティーや他者に対する迫害が行われ、あらゆることが国家の監督のもとに成り立っていると言うのである。デモ行進をしていた女性たちへ警官隊が暴力をふるった3月6日の事件はその典型的な結果ということになる。

この事件に関しては、トルコのメディアもこれを厳しく非難したことを伝えたが、彼は「演出」と反発した。彼によれば、トルコは変わらない、変わったように見えるのは見せ掛けに過ぎないそうだ。

しかし、トルコ人の牧師と一人の女性信者は私のことを丁重にもてなしてくれた。ミサが終ってからの雑談で、彼らは、トルコのキリスト教徒が過激な民族主義者たちから誹謗され、それがしばしば生命に関わる脅迫へ転じていることを明らかにした。かのクルド人信者は、過激な民族主義たちも国から扇動されているか、少なくとも暗黙の了解があると信じている。

彼らの考えによれば、トルコでは宣教活動がとても大袈裟に扱われているということになる。「プロテスタントの宣教活動は、偏執的な雰囲気の中で、『国を分裂させようとしているのではないか』と疑われているが、実際のところ、宣教師たちは一般的に政治と良好な関係になく、政治的な意図などない、単なる布教を望んでいる」と彼らは考えているのだ。

諸外国でイスラムを高める為に努力する者たちを喝采し、西欧におけるムスリム人口の増加を称賛している一部の新聞が、宣教活動に対してどのように憎悪をぶちまけているのかは、私も知っている。

この日、ミサで牧師の説教を聞きながら、思わずトルコのモスクで導師が説教している内容と比べてしまった。牧師はエンジニアであり、説教では絶えず寛容の精神を強調する。犯した罪を心から悔やむならば、如何に神が慈悲深い存在であるかを説き明かすのである。説教はポジティブなメッセージに満ちていた。

トルコの導師たちは、型通りの同じ態度と声色で、手渡された「宗教庁作成の説教」を読み上げるだけの国家公務員だ。その説教には心もこもっていなければ、説教の内容を今日の視点から解釈することも出来ない。罪と罪に与えられる罰を強調した内容も思い出されてしまった。

イスラムが、愛、和合、喜びの宗教であることは私も知っている。「聖職者たちは何故イスラムのこの面を強調しようとしないのだろうか?」と、私はキリスト教の教会で思い悩んでしまった。

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