【121】スウェーデンで宗教と国家はどのように分離されたか?【ザマン紙】【2005.03.16】

3月15日付けのザマン紙よりシャーヒン・アルパイ氏のコラム。ここでは、トルコではなくスウェーデンの事情が説明されていますが、ちょっと意外な事実のように思えました。アルパイ氏はスウェーデンの試みがトルコにとっても参考になると述べています。

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スウェーデンは千年来のキリスト教国であり、最初の約五百年の間、スウェーデンの教会はカトリックに属し法王の影響下にあった。そして、この期間でさえ、司教の任命においては、スウェーデン国王が一定の役割を果たしていた。宗教改革と共にプロテスタントを選択したスウェーデンで、教会がバチカンから独立すると、王政の教会に対する影響力は増大する。教会はスウェーデン国家の公的機関の一部となった。1686年に発布された法により、教会と信仰の関係を取り仕切る権限は国家に委ねられる。

1726年、国教会以外の宗教的な組織は禁止された。1781年には外国人に対し、1782年にはユダヤ人に対して信仰の自由が認められる。19世紀の中葉へ至るまで、全てのスウェーデン国民は生まれながらにして、ルーテル・スウェーデン国教会に所属し税金を納めなければならなかった。スウェーデン国教会からの離脱は、1860年、他の宗教組織に登録されるという条件のもとに許され、無条件の離脱は、信仰の自由が完全に認められた1951年になってから許されるようになる。

1980年、スウェーデン国教会以外の宗教的な組織にも公の予算による財政的な援助が始まる。教会に関する立法の権限は議会に残ったものの、教会内の諸事については、その多くが教会会議に任された。この会議のメンバーは、教会に所属する人たちにより、政党のリストから選ばれた代表者である。会議が選んだ管理委員会は、教会の運営組織となる。

スウェーデン国教会が、公的機関の一部であることは、全ての国民と共に、スウェーデンで働いている全ての人々(異議を唱えない限り)が教会へ税金を納めなければならないことを意味していた。さらに、高位聖職者や教会の管理者が政府から任命されるといったこと等もあり、これらは政教分離に反するとして、この50年来、厳しい批判を受けて来た。

スウェーデンはこの30〜40年の間に、宗教的に単一であるとは言えない状態になっている。多宗教、多文化の社会となったのである。こうして最終的には、スウェーデン議会が問題を綿密に討議し、教会会議の広範な賛同も得ることによって、教会と国家を分離することが決議される。

1995年に決議され、2000年から実施された法により、スウェーデン国教会は公的機関ではなくなる。スウェーデンの他の宗教組織にも平等な地位が与えられ、「教会税」の徴収に幕が下ろされた。そして、国王が教会に所属していなければならないということもなくなった。

このように国家から独立したスウェーデン教会は、教会内の諸事に関する完全な自治権を得た。高位聖職者や教会管理者の任命は、既に教会自身が行っている。所有物に対する権利を守った教会へ、所属している人たちが自主的に支払う会費が政府によって教会の名のもとに集められる。政府は同様のサービスを、カトリック教会や他の独立プロテスタント教会、さらに、ユダヤ教やイスラム教も含む全ての宗教組織に対して実施している。

全ての国民は確定申告を行う際に、どの宗教組織へどのくらい会費をおさめたいのか明らかにする。もちろん、如何なる宗教組織へも所属せず会費を全くおさめないことも可能である。

興味深いことに、改革の後、スウェーデン教会へ所属する人の数は減っていない。人口9百万のスウェーデンで、85%の国民がスウェーデン教会への所属を守っている。教会関係者によれば、独立した後、社会における教会への敬意は却って高まったそうである。

何故、このようなことを説明したのかと言えば、トルコにおける宗教庁の組織は、一種の「国教会」と言えるものになっているからだ。スウェーデンで、宗教と国家をそれぞれ分離させた試みは、宗教庁の自治を模索するうえで、モデルとはならないまでもヒントになるだろう。宗教庁が公的機関ではなくなり、自治的に運営されるようになるまでは未だ時間が掛かると思う。しかし、トルコが民主化を続けるならば、私の世代では出来なかったとしても、これはいつか必ず実現するに違いないと申し上げたい。

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