【119】私は如何にして酒豪となったか?【ラディカル紙】【2005.03.13】

3月13日付けのラディカル紙よりトュルケル・アルカン氏のコラム。先達てトルコでは、特有の蒸留酒であるラクのメチル・アルコール入り密造品が出回り、20人近くが死亡するという事件がありました。アルカン氏は、ここで酒にまつわる学生時代の思い出を語っています。

****

私には少々儀式めいた飲酒の習慣がある。晩に、食事を済ませた後、ラクをダブルで一杯飲む。二杯飲むことは滅多にない。

というより、飲んでいたのである。ラクによる死亡事件が起こってから、怖気づかなかったと言ったら嘘になるだろう。ここ数日、ワインを飲むようになった。やはり一杯か二杯。私の如き忠実なラク党がワイン派に転向してしまうのは悲しむべきことだ。しかし、そうは言っても死んでしまったらどうしようもならない。

ところで、私が最初に飲んだ酒は、ラクではなくワインだった。1960年、政治学部の学生たちが通っていた「マンタル・アフメットの酒場」。掘っ立て小屋のような造りの店で、マンタル・アフメット自身がいつも酔っ払っていたから、客の飲み代を計算することもままならず、誰にでも同じ勘定をつけていた。

私は大学に入るまで全く酒を飲んだことがなく、政治学部での学生生活が始まってから、友人たちの後を追ってマンタル・アフメットへ行くようになった。しかし、ラクは嫌な匂いがするし味もきつい為、いつも一杯のワインでその場をとりつくろっていた。当然のことながら、これをネタにからかわれ笑い者にされる。

どうも、なかなか「男の試験」をパスすることが出来ずにいたのだ。

晩になると、私たちは政治学部の横にあったコナック・レストランの庭で食卓を囲んだものだが、その時は皆ラクを飲むのである。なんとか方法を見つけて、私もラクを飲まなければならない。さもなければ、著しく威信を傷つけてしまうことになるだろう。友人たちは、私のことを子供扱いするようになった。

私は遂に決意した。問題はラクの匂いと味にあるわけだから、もたもたせずに一気に飲み干してしまえば、苦しむ時間は短くて済むのである。ある晩、ウェイターに「ラクをダブルで一杯!」と注文。友人たちが驚いて見守る中、運ばれてきたラクを水で割ることもなく一息に飲み干した。水で割らないラクはもっと酷いものだったが、少なくとも我慢しなければならない時間は短くなった。涙ぐんで長いこと咳き込んでしまったけれど、友人たちは私の背中を叩きながら、「よくやった!」と言ってくれた。それどころか、中には私の勇気と強さを褒め称える者もいた。

問題は解決した。毎晩、ラクをダブルで一杯注文する。そして食事をしながら士気を高め、充分に気合が入ったところで目を軽く閉じ、任務を遂行するのである。私の威信は日増しに高まった。

月日は流れ、政治学部を卒業すると、アンカラの県庁で上級公務員として働き始める。仕事は郡長の見習いといったところだが、一部屋に10〜15人の上級公務員が座り、新聞を読んでは、うつらうつらとしていたものである。

ある日、また新卒の上級公務員たちが入って来て、私たちの部屋はさらに混み合った。新入りの一人は、私を見るなり満面に笑みを浮かべて近づき、私の手をぎゅっと握り締めながら、「貴方のことは存じ上げています」と言う。法学部の卒業らしい。その顔を注意深く見てから、「私は君のことを覚えていないんですよ。初対面ではないでしょうか」と応じた。ところが新入りは、「私は貴方に憧れていました」なんて言うのである。「何年も貴方のことを見知っていますよ。コナック・レストランの庭で毎晩ラクを水で割らずに一息に飲み干していたじゃありませんか。そんなのは他で見たことがないから、貴方のことはずっと忘れませんでした」。

もちろん、彼に本当のことは言わなかった。後輩の夢をわざわざ壊す必要はない。それから、彼と食事を付き合ってラクを飲んでみよう、なんてこともしなかった。

今、私がどうやってワインを飲んでいるのかと言えば、ゆっくりと味わいながらである。実のところ、酒の味は決して嫌なものではない。

****

▲トップページ
▲前の記事
▲次の記事
▲トルコの新聞記事INDEX