【117】米軍基地の街インジルリクからイラクへ向かう人々【ザマン紙】【2005.03.03】

2月27日付けのザマン紙日曜版よりオスマン・バルジュ記者のレポート。トルコにおける米軍基地の街インジルリクでは、同基地から行われていたイラクへの偵察飛行が終了し兵員が削減されるや深刻な経済危機に陥り、多くの人たちがイラクの米軍基地等へ働きに出かけているそうです。

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イラクでは今、政治、経済、社会、インフラの各方面から再建が進められている。トルコの労働者、商工業者にとっても仕事が得られる場となった。トルコの各企業がイラクの各方面で活動し、米軍が方々に基地を設けることにより、アダナ県ユレイル郡インジルリクの商工業者たちは、この国に活路を見出している。

インジルリクの商工業者たちは、ここで得た経験を、イラクの各基地で米兵たちに物を売りながら活かしているのである。2年前のイラク侵攻後、この国で基地の敷設を開始した米軍を顧客に選んだ商工業者は、バクダット、キルクーク、ファルージャ等の各都市で業務を展開しはじめた。商工業者たちがイラクへ向かわざるを得なくなった背景には、侵攻後、米軍が北方からイラクを偵察する必要がなくなった為、インジルリク基地の兵員が削減されたこともある。顧客が減り、資金繰りに窮した商工業者の内30の業者がイラクの基地で開いた店では、絨毯、皮製品、装飾品、クリスタルなど、インジルリクでは売れなかった商品が売られている。

インジルリクに残った商工業者の中には、イラクで店を開くことを検討している人もいるが、「ムスリムが殺されているイラクで金を稼ぐのは良くない」と言って、イラク行きを拒否する人たちもいる。

昨年の下半期にイラクへ向かったインジルリクの商工業者は、イラクの各基地で責任者と交渉し良い結果を得た。米軍の司令官たちは、彼らがインジルリクから来たと聞いただけで関心を示し、基地内の場所を見せたという。絨毯屋、貴金属業者などが次から次へとイラクで店を開け始め、今やその数は30に達している。

インジルリクの商工振興会のミュジダット・アクチュナル会長は、イラクの基地で場所を示された商工業者たちがイラクへ行こうと思い立った理由に、インジルリクでは日々の支出も賄えないほど状況が悪化していることを上げている。「インジルリクの350の業者の内、148が振興会の会員であり、その中から30がイラクで店を開けましたが、『一山あててやろう』などと考えてのことではありません。米軍関係者のトルコ人に対する印象は良いようですね。店で使用する電気や水も基地の方から無償で提供されています。ただ、基地の外へ出ることは危険であり、外出することは殆どありません」。

そもそも、ミュジダット・アクチュナル会長自身もイラクで店を開いた一人だ。インジルリクで長年にわたってミュジダッツ・レストランを経営してきたアクチュナル氏は、経済的な苦境をモースルの基地内に開いたレストランで乗り切ろうとしている。アクチュナル氏は、インジルリクでの経験により、米兵の好みを良く知っているから、彼らにアダナ・ケバブや揚げ物、ラフマジュン(中東風のピザ)などを用意しているそうだ。「どんなメニューがあるの?」と訊く米兵には、アダナ・ケバブをすすめたりするという。また、インジルリクへ来たことがない米兵たちは、近いうちにトルコへ、そしてインジルリクへ行くことを約束してくれるそうである。

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アフメット・アクソイ氏は、インジルリクで、20年にわたって働いた末、2000年からは自分の洋服店を経営しているが、今の状況を「ゼロより下に落ちてしまった」と表現する。アクソイ氏によれば、1991年の湾岸戦争以後の状況もこれほど悪くはなかった。「税金、電気、水道、電話などの経費だけでも月に1000ドルはするのに、犠牲際後の10日間では僅か100ドルの商売しかできませんでした。2003年に『北方からの偵察任務』が終ると、基地の兵員は激減してしまったのです。今、一日に基地から外出する10〜15人は買い物もしないまま基地へ戻ります。もう持ちこたえることができません。イラクへ行くことを考えています。向こうでは、税金や電気、水道などの経費も掛からないそうですね」。

インジルリクの市内でシャッターを下ろしている店は、多くの商工業者がイラクへ行ってしまったことの象徴だ。ある現地の人によれば、未だかなりの商工業者がイラクへ行く準備をしているものの、一部の人たちは心情的な理由からイラクへ行かないという。

再建が始まったイラクでは、トルコ人の業者が米兵に物を売る役割を担っているが、様々な地域で働くトルコ人労働者の数も多い。イラクで活動しているインジルリクの企業により、人口2万のインジルリクを始め、隣のキュルクチュレルやアダナの各地方から数多の労働者がイラクで雇用されている。

インジルリクのヴェダット・カラダー市長は、市内の失業者がイラクで仕事を見つけられることに喜んでいる。「行っている人の多くは英語を良く知っています。休暇で戻って来た人たちから聞いたところによると、米軍がいる区域の安全帯を出なければ大丈夫で、夕方、外へ出たりすると危険なんだそうです。インジルリクの失業者が優先的に選ばれたことには私たちも喜んでいます。インジルリク市内の企業により、800名の若者がイラクで雇用されているのです」。

やはり、イラクへ労働者を送りこんでいるキュルクチュレルのイスメット・チェリク村長は、村の主要産業である農業や畜産から収入を得られない人たちが他の仕事を探し始めたことを明らかにしている。「イラクは失業者にとって唯一の望みとなってしまいました。毎日、多くの人たちがイラクへ行く方法を探しています。イラクで労働者を雇用している企業が自分たちを助けてくれることを願っているのです」。

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