【114】連邦制はトルコに適していない【ヒュリエト紙】【2005.02.27】

2月24日付けのヒュリエト紙より。ファルク・ビルディルジ氏が、オルハン・ドアン氏にインタビューした記事の前半部を訳して見ました。左派クルド系元国会議員のオルハン・ドアン氏は、議員宣誓をクルド語でも読み上げて逮捕されたレイラ・ザナ氏と共に10年に亘って服役、昨年釈放されました。

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Q:連邦制には反対しているのですか?

A:現在の条件に相応しくないと思っています。トルコにおけるクルド問題は連邦制によって解決できないというのが私の考えです。まず、トルコでトルコ人とクルド人は、他の連邦制を有する国の民族たちとは違い、非常に密接な関係を持ってきました。例えば、イスタンブールはクルド人の都市であるかのようです。トルコ人とクルド人を異なる地域に分けることができる人口統計学的な構造がトルコには全くありません。クルド知識人たちによる宣言文(訳注:昨年、ブリュッセルにおけるEU決議を前にして発表された)を発表した後の記者会見でもこの点を強調しました。

Q:では、何故あのような宣言文に署名されたのですか?

A:私たちはあの宣言文に署名などしませんでした。異なる議論が展開されていたのです。スイスとかスペインが例にあげられていましたが、トルコは、スイスでもスペインでもないし、またキプロスとも違います。トルコにおける解決策はトルコのものでなければなりません。民主的な共和国による解決は、最も進んだ連邦制にも優るはずです。宣言文では、こういった私たちの主張とは異なるものが発表されてしまいました。

Q:何故、そんなことをしたのでしょう?

A:レイラ・ザナの署名がなければ、影響を及ぼすことができなかったからです。

Q:ディアスポラのクルド人たちは、あなた方を違う所へ引っ張ろうとしたのでしょうか?

A:彼らは本当にディアスポラのクルド人たちを代表しているグループなのか、これも検証して見なければなりません。しかし、私たちは「トルコに住んでいるクルド知識人」であると言えます。彼らが連邦制を議論することには敬意を表すものの、それが正しいことであると私たちは思っていません。私たちは全ての外交交渉や対話でいつもこれを主張してきました。アブドゥラー・ギュル外相やビュレント・アルンチ国会議長に何かを伝えたならば、皆さんにもそれと同じことを話しているのです。刑務所の中でも外でも発言に変わりはありません。連邦制を主張する人たちは、まさか「メタル・ハリケーン」でも起こって、トルコへ天から連邦制に相応しい構造が落ちてくるとでも思っているのでしょうか?

Q:ユミット・フラットは「レイラ・ザナが女性でなければ今のポジションには達し得なかった」と言ってますが、どうですか?

A:レイラさんは、クルドの政治展開の中で25年間努力してきました。レイラ・ザナをレイラ・ザナたらしめているのは、彼女の美しさではなく、その政治的な蓄積です。9・12において刑務所の前で始まり、国会を経て今日に至った道のりがあります。レイラさんは、地域における全ての人権侵害に対する民主化闘争でいつも先頭に立って来た女性政治家です。一人の人間が10年間服役したことや、あの地域で「闘う女性」の範を初めて示したのが彼女であることを無視するのは正しくありません。

Q:北イラクでは連邦制が議論されています。キルクークをも含むクルドの自治政府が誕生することはトルコへどういった影響を与えますか?

A:あそこでは可能でしょう。あの地域で、クルド人、トュルクメン人、アラブ人の歴史的な経緯は非常に違ったものです。民族分布も地域ごとに分かれています。地域による連邦制はあそこの条件に合った解決策でしょう。しかし、あの地域における生活環境の変化はトルコへも反映するから、私たちがトルコでクルド問題に対する平和的な恒久解決策を迅速に示すことができなければ、北イラクのやり方が魅力的なものに見えてしまうかもしれません。ですから、政府は内外のクルド人と友好的な関係を持つ必要があります。隣のクルド自治政府とも良い関係でなければいけません。これにより米国との緊張も和らぐでしょう。

Q:刑務所から出た時、世間のどんな変化に興味を引かれましたか?

A:逮捕された週、国会では携帯電話のことが議題に上っていたけれど、それを使う前に刑務所へ入ってしまいました。トルコは素晴らしい技術的な変化を遂げたもんですねえ。しかし、それよりももっと重要な変化があります。それは社会に見られる寛容な雰囲気です。人々は民主的な権利を認めても危険ではないことを悟りました。心情的なこの変化は非常に重要でしょう。

Q:服役中に本を読む機会はありましたか?

A:最初の5年間は、読んだり書いたりする為に良い条件でした。その後、異なる刑務所の服役者が私たちの房へ連れて来られ、PKKの病人が治療を受けるところのようになってしまいました。

Q:「トゥルキエリ(トルコに住む人)になろう」というのは何を意味しているのですか?

A:憲法の第1条は「トルコ国家は共和制である」、第66条は「国民という紐帯によって結ばれた全ての者がトルコ人である」と謳っています。では、自身をトルコ人と感じていない者は、国民という紐帯によって結ばれていないのですか? クルド人であればどうでしょう? これはトルコの現実にあっていません。勇気をもって議論しなければならない問題です。国家の名称が「トルコ共和国」なのだから、その国民(ウルス)の名は「トルコ国民(トゥルキエ・ウルス)」でなければなりません。66条には「トゥルキエリ(トルコに住む人)」と記す必要があります。人々は、トルコに住むトルコ人、クルド人、ラズ人になれるはずです。

Q:トルコはこれを受け入れることができますか?

A:国家ではなく民衆が、ということであれば、できると思います。つい先頃まで「親愛なるオジャラン」(訳注:99年に逮捕された反政府武装組織PKKの首領)と言うことは犯罪とされていました。しかし、今やある裁判で「親愛なるオジャラン」と言った何人かが無罪となっています。変化への抵抗は必ず乗り越えることができるでしょう。

Q:刑務所内での人間関係はどうだったでしょう?

A:とても人情があって良いものでした。皆の読書時間、就寝時間が決まっていて、自分達を文化的に磨くことができました。思い出すのは、皆でサッカーの試合を観戦していた時のことです。相手はオランダだったかどうか良く覚えていませんが、とにかく、トルコ代表チームがゴールを決めたんですね。そうしたら、PKKの若者たちが一斉に飛び上がって「ゴール!」と叫んでいました。

Q:以前はトルコがゴールを決めても喜ばなかったのですか?

A:絶対にありえません。敵とみなしていたのです。昔は、トルコ共和国(トゥルキエ・ジュムフリイェティ)と言わずに、頭文字を取ってTC(テー・ジェー)と呼んでいましたよ。それが、今はトルコ共和国と言ってます。看守が来ると、「敵が来た」なんて言ってたのですが、これも「某さんが来た」、もしくは「係官/看守が来た」と言い始めました。この変化を認識しなければなりません。しかし、私たちがこの期待に応える歩みを踏み出さなければ、期待感が途切れてしまうこともあるでしょう。

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