【109】かつてはギリシャ人も自分たちを「ビザンチンの子孫」であるとは思っていなかった【ザマン紙】【2005.01.18】

1月11日付けのザマン紙よりヘルキュル・ミルラス氏のコラムの前半の部分を訳しました。シラク大統領の「我々は全てビザンチンの子孫である」という発言から始まった議論に対し、トルコ国籍のギリシャ人であるヘルキュル・ミルラス氏がその見解を述べています。

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1988年に、トゥルグト・オザル大統領がアテネを訪れた際、良い意味で両国民衆の間に見られる親近感を強調しようとして、「いずれもオスマン朝の歴史を共有している」という意味合いの言葉を使った。しかし、当時ギリシャのメディアは、この「ルーツ」に関する発言に憤慨し、様々なことを書きたてた。「我々のことをトルコ人だと言っている」と騒ぐ者たちもいた。「我々の先祖を貶めるような発言だ」「我々の国家の独立とアイデンティティーを理解していない」等々、他にも色々なことが書かれた。

人々はこの民族的なルーツに関して何故これほど敏感なのだろうか? もしも、ダーウィンの説を信じているならば、私たちは全て猿のようなものから進化して来たことになるし、啓示宗教の聖典を信じるならば、全て「アダムとイブ」の子孫であるはずだ。いずれにしても、ルーツは一つに違いない。人間の氏族が多数の異なるルーツから出て今日に至ったと主張する宗教や学説を見つけるのは不可能に思える。

ところが、民族のルーツが話題になるや、様相は一変してしまう。その出発点には一切触れようとしなくなる。例えば、ヒトラーは自分たちの人種的な優越性を途中から語り始めている。その優秀な人種がこの地球上にどうやって突然出現したかについては何一つ明らかにしようとしなかった。ヒトラーのエピゴーネンが行ったことも同様である。これは、古代の人々が考えた世界の成り立ちを思わせる。アトラスが世界を支え、そのアトラスは大きな亀の上にいて、亀は広大な海の上に見える。「海は何処にあるのか?」という疑問には立ち入らない。ルーツに関しても同じように「ルーツのルーツ」を問おうとはしないのである。

フランスのシラク大統領が「我々は全てビザンチンの子孫である」と発言するや、これは元々議論を呼んでいた「アイデンティティーの問題」を煽りたてた。諧謔的に捉えて「これは議論するようなことか?」と言う人たちもいたし、人種的に混ざり合った民族もあることを説明しようとした人もいたが、大真面目に「我々のアイデンティティーは危険に晒されている」と叫ぶ人たちもいる。つまり「我々は宗教も失ってしまう」というのだ。

ビザンチンに関しては、そこにギリシャ的なものも含まれているから、ここで冷静さを取り戻す為にも、いくつかのことを申し上げたい。

18世紀に、オスマン帝国の中でギリシャ民族主義が芽生え、キリスト教徒たちの間にギリシャ人というアイデンティティーが広まりつつあった頃、「新しいギリシャ人たち」は、ビザンチンのことを「敵対する力」と考えていた。この民族主義的なギリシャ人たちは、自分たちのことを「ビザンチンの子孫」であるとは思っていなかったのである。ギリシャとビザンチンを直接に結びつけようとしなかったばかりか、ビザンチンを強権的な外国人による頚木と見なそうとしていた。最初のギリシャ小説とされるソウトゥソスの「レアンドロス」(1834年に出版された)では、1821年のギリシャ独立戦争中のある海戦が、ギリシャ人による「ビザンチン海軍に対する闘い」として描かれている。

ビザンチンがギリシャの歴史学上でギリシャと見なされるようになったのは、1850年以降のことである。この思想を創始した人たちとその著作は明らかになっているが、以後ギリシャ人たちは、このルーツに関する事柄を信じ込んでしまった為、このルーツがどのようにして後からもたらされたものであるかを想起させると、その多くが気分を悪くする。

以上のことは、ある歴史哲学を示すものだ。歴史は、広く信じられているように、過去から始まって今日を説明するものではない。現時点から歩み出て過去を解釈するのである。各時代は、その時点から過去を新たに解釈しようとした。この為、政治学においては、既に、近代的な社会の存在すら「イメージされたもの」と言われている。アイデンティティーも似たようなものだ。過去から我々に至るものではない。我々から過去に向かって行き、少々気分的に好ましいと思ったものを自分たちのものにするのである。

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