【47】かつて私たちはタリバンのようだった【ラディカル紙】【2004.02.24】

2月23日付けのラディカル紙。ネシェ・ドゥゼル氏が、エルドアン現首相のアドバイザーを務めたこともあったメフメット・メティネル氏にインタビューしています。メティネル氏はかつてタリバンのようなイスラム主義者であった自分たちがどのようにして民主主義を理解するに至ったかを厳しい反省の言葉と共に語っています。

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Q:ムスリム(訳注:イスラム教徒のことですが、ここでは特に信心深いイスラム教徒を指すものとして使われているようです)についてお書きになった本が出版されることになっていますね。わけても、貴方は非常に信仰心の強い方です。そこでお伺いしますが、ムスリムとしての信仰を守りながら、宗教に関する考え方を変えることは可能でしょうか?

A:もちろん可能だ。宗教は普遍的なものであり、地域や時代、さらには日々の変化に従い異なる顔を見せる。時と場所が変われば、人々の宗教に対する見方も変わってくるだろう。イスラムを預言者の時代のものとして、当時そこにあった伝統や風習を今日も同じように適用すべきだとするのなら、これは宗教の核心を読み誤っている。そうなると宗教が一つの解釈から成り立っていると考えることになり、宗教を停滞させてしまう。

Q:トルコのムスリムたちは宗教に関する考え方を変えたのですか?

A:大きく変えている。1980年以前、私たちは女性と握手することさえ罪深い行為であると信じていた。まるでタリバンのように考えていたのだ。イスラムは国家の体制を整え、必要とあらば、社会を強制的にイスラム化させる。私たちは、こうしてイスラムの体制により社会を制圧するつもりだったのである。

Q:タリバンのように、と仰いましたが、他に何を考えていたのですか?

A:16〜17歳の頃、アディアマン県(訳注:トルコ南東部。クルド人の多い地域)のキャフタ郡で、イスラム主義闘争に加わっていた。自分たちが聖イブラヒムにでもなったかのようだった。預言者がメッカを征服した時、どのように偶像を破壊したのか? 聖イブラヒムはどのように破壊したのか? というようなことを考えていて、我々も偶像崇拝者に対し、イブラヒムのように反抗しよう、ネムルト山の遺跡を破壊してしまおう、と思っていたのである。可能なら爆弾を使うのか、ダイナマイトにするのか? 本当にタリバンのようだった。世界の七不思議と言われているあの遺跡を、単なる偶像と認識していたのだ。

Q:「私たち」と仰ってますが、どのような集まりだったのですか?

A:私たちは、エルバカン氏に導かれたミッリ・ニザム党(国民秩序党)〜ミッリ・セラメット(国民壮健党)の流れに基づいて行動する若者であり、その思想は「シャリーア(イスラム法)がもたらされて蛮行は終わりを告げ、不信心な国家は倒される」といったものだ。私は15歳の時、このイスラム主義運動に加わった。私たちにとって共和国の体制は、政教分離の名のもとに社会を無宗教化させるものであり、政教分離とは即ち無宗教のことだった。

Q:民主主義は戯言だったのですよね?

A:そう、民主主義とは戯言による体制だった。「トルコのムスリムは囚われの身である。イスラムの国家が成立し、社会はこの国家のもとで新たにイスラム化されなければならない」と信じていた。1980年以前、トルコでムスリムの大部分は、エルバカン氏を指導者とする政治活動により政権を取り、社会を新たにイスラム化させることを考えていたのだ。圧政国家は全ての面においてイスラム化するはずだった。しかし、実際のところ、これは預言者の時代における国家のモデルではなかった。何故なら、預言者が国家について語ったことは一度もなかったからだ。

Q:国家を作ったのではありませんでしたか?

A:あれは、メッカからメジナに至るヘジラ(移住)の過程で、社会的な秩序の必要性から自然に形成されたものだった。そもそもコーランには、ムスリムが必ずやイスラム国家を作らなければならないとは書かれていない。しかし、政治的イスラム(政治的なイスラム主義)は、イスラム国家を作ることが宗教上の義務であるかのように考え、「民衆の大部分がムスリムである国では、国家はムスリムの手に委ねられ、イスラムの教えに従うべきだ」と言うのである。近代におけるイスラム主義の理解はこれであり、宗教とは即ち国家のイデオロギーだった。

Q:貴方たちは政治的イスラムを放棄したと仰ってますね。何故、考えが変わったのですか?

A:私や友人たちは、80年代の終わりに変わり始めたが、一部の人たちは最近になって変わった。私が民主主義や民主的な政教分離を擁護し始めると、イスラム主義の人たちは、私のことを政治的に迫害しようとした。彼らにとって、民主主義を擁護することは、宗教の放棄に等しかったのだ。私は、彼らから見れば、既にムスリムではなかったに違いない。

Q:すると、彼らはいつ政治的イスラムを諦めるようになったのですか? イスラム国家を目標としない運動はいつ現れたのでしょう?

A:1997年の2月28日以降のことだ。政治的イスラムがトルコでは通用しないことが2・28軍事介入の過程で明らかになった。民主主義が軍事的な介入を承認することはありえない。しかし、2・28の介入は、政治的イスラム主義者が民主主義を発見する過程ともなったのである。イスラム主義者たちは、残念ながら、民主主義をこのようにして見出すことができた。結果的に2・28がもたらしたこのプラス面を軽んじてはならない。何故なら、2・28で、イスラム主義者も圧制を受けることになったからだ。彼らは、それまで圧制を受けた者の気持ちが解らなかった。

Q:イスラム主義者たちは、それまで圧制がなんであるか知らなかったのですか?

A:知らなかった。1980年9月12日の軍事クーデターが左翼の人たちの上をブルドーザーのように通過し、彼らが獄死したり、拷問によって殺された時、イスラム主義者たちは何の反応も示さなかった。それどころか、拷問の事実を調べに来たEUの委員に対し、時のイスラム主義指導者たちは「欧州の人たちに何かあったのか? 我々の内政問題に何の権利があって介入するのだ」と言って国民感情に訴えようとしたほどだ。それが、いつの日か自分たちも圧制を受け始めると、その時になって民主主義の必要性を理解したのである。FP(美徳党)のプログラムを用意した際、私は、こう書き記した。「民主主義は、圧制に対して自分たちを守る盾ではない。民主主義とは、反対側に立つ人たちの自由を守ることである。彼らの自由を守るために闘わないのであれば、民主主義者とは言えない」。

Q:貴方は90年代、エルドアン(現首相)の近くにいましたね。RP(繁栄党)のイスタンブール代表、そしてイスタンブール市長となった時、貴方はエルドアンのアドバイザーでした。エルドアンはその頃未だ変わっていなかったはずですが、アドバイザーとして難しい立場ではありませんでしたか?

A:エルドアンは非常に整然と変化を遂げた。もともと変化を拒む人ではなかったからだ。もちろん彼も、かつては政治的イスラムの思想を持っていて、イスラム国家を成し遂げ、政治権力を手に入れようとしていた。聖典は政治的な原稿のように読まれ、コーランは政治書であり、預言者は政治的な指導者だった。こういったイスラムと国家の一体性はエルドアンの頭の中にもあったのである。彼は80年代以前にそういうカルチャーを身につけていた。しかし、エルドアンは90年代の半ばから、非常に重要な思考的変化を遂げることになる。

Q:しかしながら、エルドアンは90年代の半ば、未だ民主主義を乗り物のように思っていたのではなかったのですか? 目的地に着けば、その乗り物から降りてしまえば良いのだと。

A:エルドアンは90年代半ばまで、民主主義や政教分離へ疑問を懐いている人間だった。その為、RPイスタンブール代表であった頃の発言には、政教分離を無宗教へ結びつけてしまうミッリ・ギョルシュ(国民思想/訳注:エルバカン氏によって提唱されたイスラム主義思想)的な考え方が明らかだった。ミッリ・ギョルシュによれば、政教分離は無宗教であり、民主主義も戯言だった。イスラムは必ずや国家にならなければならなかった。しかし、今日、エルドアンとAKP(正義開発党/現政権)を創設した人たちの大部分は根こそぎ変わってしまった。民主主義と政教分離が必要であると信じているのだ。「宗教を基盤に政治を行うことは間違いである」と言う。これは重要な思考的、そして政治的な変化である。彼らは政治的な態度をFP(美徳党)の時代に変えた。民主主義が不可欠であり、民主的な政教分離により全ての人々が平和裏に共存できることを理解したのである。

Q:今日、イスラム主義者たちの多くは、政治的イスラムを放棄したと語っていますが、これには、他の国々で成立したイスラム政権の現実を見たことも影響していますか?

A:私たちはイスラム体制が築かれれば、全ての問題は解決されると仮定していた。しかし、1979年にイランがイスラム国家となって、問題は解決されただろうか? アフガニスタンからソビエトが撤退し、イスラム主義者が政権につくと、どうなったのか? 彼らは政権争いを始めお互いに殺し合った。私たちは、イスラムの国家体制が問題を解決しないことを認識し始めたのである。

Q:宗教が国家体制となった場合、それ自身が問題となってしまうのではありませんか?

A:国家となった宗教はそれ自身が圧制をもたらすことを私たちは見てしまった。イランで宗教指導者たちは、自由を勝ち取るためにシャーの体制を倒したのに、革命軍の戦車は、この革命を成し遂げた人々を押し潰したのである。イランの最高指導部は、イスラムの政治的な解釈を凄まじい圧制の道具として使っている。私たちはこれらを見てしまった。トルコでスカーフを着用するために闘っている女性たちは、政教分離主義者からこう問われた「貴方たちは、政教分離の政府からスカーフ着用の件で干渉を受けていると主張しているが、イランのイスラム政府は人々の服装に干渉していないのか? 彼女たちも、自分たちがスカーフを外して街へ出れないことを抗議しているのではないのか?」。イランを訪れ、スカーフを被らなければならなかった女性記者は「私たちはイスラム国家より自由である」と言い始めた。重要なのは体制が変わることではなかったのである。

Q:重要なことは何だったのですか?

A:それは、圧制とイデオロギーを押し付けようとする国家の思考を変えることだ。国家により、一方で政教分離が強制され、もう一方ではイスラムが強制される。そこには何の変わりもない。人々を解放しよう、各々がその信じるところに基づいて生きれば良いのである。戒律を守らないのも、地獄へ行くのも自由であるはずだ。何故、地獄へ落ちてはならないのかを説明してやることはできる。しかし、この地上で地獄の閻魔のように待ち構えて「貴方を地獄へ行かせないようにする」とは言えないはずである。何故なら、アラーは、地獄も天国も私たちが知ることのできないところへお隠しになっているからだ。しかし、近代イスラム主義は、イスラムを国家体制とすることにより、アラーがお隠しになっていた天国と地獄を地上へ引きずりおろしてしまった。それも特に地獄の方をね。イスラムが支配的な全ての国で、人々は、禁止、圧制、恐怖、疑惑の中で地獄のような生活を送っているのである。

Q:トルコで人々は、未だにイスラムが政治的に強制されるのではないかと恐れていますが、これももっともなことではないでしょうか?

A:誠実な立場で、そういった疑念を懐いている人たちがいる。しかし、私たちは変わった。アルンチ国会議長、ギュル外相、シャーヒン国務長官、彼らは変わったのだ。今、私たちは変わったことを態度で明らかにしている。一部の人たちは、エルドアンとその仲間が変わっていないことを主張しているが、それは彼らが現状維持に努めようとしているからだ。執拗に「変わったのか? 変わっていないのか?」と問い質そうとしているが、本当は、この人たちが変わらなければならない。私たちが変わったように、彼らも変わっていれば、トルコは民主的な共和国として地域のモデルになっていたはずだ。

Q:かつてイスラム主義者は、イスラムにおいて民主主義はありえないと言ってました。何に基づいてそのように言ったのでしょう。この考えを裏付けるものが宗教にあるのですか?

A:これに宗教的な裏付けなど全く存在していない。宗教と民主主義が敵対関係にあるとしていたイスラム主義者たちは、民主主義のことを、まるでイスラムと同じような宗教であると思っていたのだ。その為、人々が民主主義により新しい宗教の選択を迫られているように感じてしまった。ところが、民主主義とは脱イデオロギーだったのである。民主的な国家は、国民に宗教や宗派を押し付けたりはしない。国民は自分で選択しそれを活かすのである。

Q:イスラム主義者はイスラムと民主主義を、今どのように結びつけているのですか?

A:宗教の新しい解釈が現れ、宗教は国家体制にならないという考え方が支配的になり始めた。但し、宗教を未だに政治的なイデオロギーだと思っているイスラム主義者たちはこれを認めていない。宗教が生活の全てに介入すべきだと信じているからだ。しかし、宗教はイデオロギーではない。宗教とは、信仰を体系化したものである。宗教には不変の要素があって、例えば、預言者を信じることがそうだ。また、自分たちとは違った世界が存在することを否定できない。これは不変の要素だ。しかし、遺産の分配法については、状況が変わってしまった。この場合、宗教上、異なる解釈を求めることができる。女性が、社会に、そして商業に参加するようになった近代では、女性に対して遺産をコーランに書かれている通りに分与することはできない。こう解釈することはコーランの核心に反するものではないのである。宗教をトータルなものとして、何処へでも同じように置くことはできない。

Q:良く解りませんが?

A:そうであれば、アラーはコーランを23年もかけて少しずつ啓示されるようなことはなさらなかっただろう。アラーは飲酒が禁じられていることを御存知なかったのだろうか? そんなことは絶対にない。ならば、何故、最初の段階で禁じられていることを啓示なさらなかったのか? 何故、スカーフに関する啓示はメジナへ移った後に下されたのか? それまでは敬虔な女性の信者が何も被らずに街を歩いていたのである。スカーフに関する啓示には「スカーフを胸の上に垂らせ」とある。男たちを惑わさない為に、外見を少しノーマルにするよう望まれたのだ。

Q:これは、髪が見えないようにするためのものじゃなかったのですか?

A:それは違う。髪の毛自体は性を誘発するものではないからだ。そうであれば、学校に入れない娘たちがカツラを被ることもなかった。それに、そこまで言うと、衣服さえも性を誘発することになってしまうかもしれない。

Q:イスラムで女性が頭をスカーフで覆うのは義務じゃなかったのですか?

A:コーランには「スカーフを胸の上に垂らせ」と書かれている。これについて「ベールを被れ」と解釈する人たちがいたように、最近になって、一部の宗教学者たちが「スカーフを被ることは義務ではない」と解釈することも可能だ。スカーフを被らなければムスリムとして認められない、などということはないのである。それなのに、最近まで私たちはスカーフを被っていない女性をムスリムとして見ていなかった。しかし、スカーフを被っていない女性は、なかなかのムスリムなのである。恐らく、スカーフを被っている女性よりもっと心で感じながらムスリムとなっているのだろう。誰も他人の心にある信仰心を図ることなど出来ないはずだ。

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原文
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=107171

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